忘年会 ~『国鉄』の終焉

一昨日は一発目の忘年会がありました。呑んで喰って、呑んで唄って夜の六日町に福沢諭吉が千鳥足で消えてゆきました。スキー関連の仕事に就いている人も多い土地柄、このあたりはいま時分が忘年会のピークです。とはいっても私に限らずまだ40日近くあるこの1年を忘れるような境地にはまだまだ・・・。要は呑んだくれる大義名分といったほうが正しいかもしれません。

鉄道のこの1年、ボンネット<はくたか>の消滅、3月には<あさかぜ><さくら>、9月には<彗星>と伝統の寝台列車の相次ぐ廃止、とJR化後も残っていた国鉄時代の車両や列車の整理が急ピッチで進んだ年でありました。
JRになったのがつい昨日のような気がするのは「中年」という年齢だからで、何ともう18年にもなります。細々と生き残ってきた国鉄時代が車両の老朽化やニーズに合わなくなってなくなってゆくのはやむをえないのかもしれません。
私が20前後の頃、大糸線や飯田線に生き残っていた戦前生まれの旧型電車に熱中していたのと同じような感覚で「国鉄を知らない子供達」はボンネットの<はくたか>やブルートレインに熱い視線を向けているのでしょうね。

国鉄から継承された長距離列車のうち、複数の地域会社にまたがるものはおそらくあと1、2年のうちにごく一部を除いて消えてしまうような気がします。また同じく国鉄から引き継がれた北海道から九州までの「最長片道切符」に象徴されるような全国統一の営業ルールも大きく見直される時が来るのではないでしょうか。
幼少から青年期まで馴染んだ「国鉄」の気配がなくなってゆくのは寂しいことです、でも何だかんだ言っても大好きな鉄道、4月の尼崎事故のことは決して忘れることなく安全最優先で誰からも頼れる存在でありつづけてほしい。なぜならそれは政治家に言われるとおりにやっていたら赤字になると決まりきっていたのに、彼らにこき使われた挙句に赤字じゃ駄目だと潰された「日本国有鉄道」が100年かけて築き上げた世界に誇れる伝統だからです。

2001年3月、惜しまれつつ消えた昼間の特急としては日本最長距離、大阪-青森間を結んでいた<白鳥>の廃止前日の勇姿です。消え去るものの為に、と意図していたかは定かではありませんが、コダックのT-MAX400で撮影していました。カラーラボで現像する新しいタイプの白黒フィルムです。
早春の越後路は小雨もようでした。

<2001.3.1 塚山-越後岩塚>
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by y-gotosan | 2005-11-24 22:30 | 上撰 越乃白鷹
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