カテゴリ:汽笛の風景( 34 )

Photo runby

このブログの容量のマキシマムになってしまいました。

きょうも「戻り雪」、春までの一進一退の歩みが続く中で、これをひとまず最後の投稿にしたいと思います。

フォト・ランバイ。アメリカの鉄ちゃんたちが作ったコトバ。”photo"のために"run by"・・・、走り過ぎる。具体的に説明すれば、自分たちの乗った貸切列車(Fan Special)をお立ち台で迎撃するために、
①お立ち台の前で皆下車して、列車はいったんバック(ビデオ派のためにカメラアングルの外まで!)
②スタンバイしたところへフルパワーの大迫力で通過
③再びお立ち台までバックしてきて鉄ちゃんを収容、次のポイントへ出発。
・・・というものです。本線上でのバックは日本では保安上、線路閉鎖しない限り不可能ですが、そもそもそんなことを白昼できる本線などほとんど存在しません。

日ごろの私たちの鉄活動が「自由旅行」だとすればこの"photo runby"は「添乗員と行くロンドン・パリ・ローマ8日間」といったパックツアーみたいなもの。好みの分かれるところでしょうが、約20年前のニュージーランドでそれに似た経験をしました。

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日本と同じゲージながらアメリカンスタイルのディーゼル機関車はやたら背高でカッコいいです。ニュージーランド南島・クライストチャーチにホームステイしていた7月のある日、ホストマザーが日曜版の新聞広告で見つけてくれたのが始まりでした。
8月のとある日曜日、クライストチャーチから島を南北に縦断する脊梁山脈の峠めざして、レイルファン団体貸切の列車は出発しました。途中駅停車のひととき、ドライバーと語らう男性2人はこのツアーの幹事役である地元の鉄道愛好団体の人、なんとお願いもしていないのに「日本から一人で来ているヤツをエンジンに乗せてやってくんねぇかい?」と交渉中の図です。

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鉄道はすっかり過去のものになったニュージーランドでは旅客列車はメインラインのみ1日1往復、それも3、4両のわびしい編成で日曜はお休みという状態です。荷物車も含めて15両、重連のディーゼル機関車にふさわしい列車がファンスペシャルだけというのは淋しいものの、乗せてもらった機関車の後部運転台でひとり歓声をあげていました。

山中で突然、静かに停車。何事かと驚いていると客車からぞろぞろとお客が降り始め、目の前の鉄橋を渡り始めました。ついていって納得、アメリカ蒸機のものほど本格的ではないものの"Photo runby"が始まりました。
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ごらんのとおり白糸川に似た鉄橋を望む絶景なのにカメラを構えている人間の方が少ないですね。日本の8割ほどの国土面積に人口330万人のこの国の鉄ちゃん人口からすれば15両編成は必要ありません。大半はフツーの人々です。奥さん連中は客車に居残ってお喋りに夢中でした。

「自分たちの好きな鉄道を日常生活の中ではほとんど経験できないフツーの人々に触れ合わせたい」、というのがこのツアーの趣旨なんだろうな、たぶん・・・とぼくなりに解釈しました。

細々と残った鉄道を愛し、一般ピープルに鉄道旅行の楽しさをを啓蒙するかのごとき活動に情熱を注ぐニュージーランドの鉄ちゃんに乾杯!

終着駅、Arthur’s Passまでまだ1時間余り、でも風景はいよいよ凄みを増してきました。牧草地のかなたにサザンアルプスの峰々が輝き始めました。

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by y-gotosan | 2006-03-20 20:30 | 汽笛の風景

春をめざす旅 Ⅵ

阿波池田経由、小松島港行き・・・

はじめての四国、徹底的な鉄道オンリーの旅でした。

朝の高松駅です。通勤ラッシュは特急型以外のすべての車両総動員体制というのはいずこも同じ。でも架線のない広々としたターミナル駅に居並ぶのはこんな連中。この頃の四国には電化区間はありませんでした。いまは再開発されモダンな駅になったと聞いていますが・・・。

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そんな通勤列車の折り返し、高知行き第231列車に竹輪と缶ビールを提げて乗り込みました、。もともと少なかった乗客は多度津までにほとんどが降りてしまい、四国山地に分け入る頃には最後尾のオハフ33の中に居るのは私だけになっていました。

瀬戸内と太平洋を隔てる分水嶺に近い坪尻駅。上り特急<南風2号>と行き違いです。スイッチバックの行き止まりホームによっこらしょと腰を据え待つことしばし・・・、山峡に重厚なエンジン音が轟いたと思えば、瞬く間にトンネルに吸い込まれて行きました。

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客車から立ちのぼるのは暖房の蒸気です。旧型客車は自前の暖房装置は持っていません。かつては蒸気機関車が当たり前でしたから、機関車から発生する蒸気を分けてもらっていたのです。ですから近代化が達成されていくら機関車が黒いケムリを出さなくなっても暖房方式は蒸機時代と変えることはできず、そのためにEF58もDD51もボイラー(さすがに石炭ではなく重油焚きでしたが)を搭載し、DD51やDE10などは貨物列車専用のボイラーなしバージョンを作り分けてもいました。このDE10は当然旅客列車対応バージョン、運転室下部にオレンジ色の「暖房表示燈」点灯が確認できます。

ちなみに。
始発駅でこうした列車に乗り込むと、冷え切った足元のパイプにスチームが通い始めたときにパイプの継ぎ目やコーナーが機関車に近い側から「ドンドンカンカン」と唄い出しそれはそれは賑やかだったものです。

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阿波池田に到着しました。その時点での第231列車の乗客は9人。なぜ憶えているかというとその全員が下車したからです。高知市近郊で便利な時間帯に持ってゆくべく時間調整も兼ねた長時間停車を潮にひとつの役割を終えた、という感じ。途中駅なのに終着駅みたいな雰囲気になりました。
ここで私は徳島本線に乗り換えです。いまなら特急<剣山>でしたっけ、世間では「アンパンマンカー」で有名ですね。でも硬派だった国鉄はせいぜい受験シーズンに「学駅」の入場券で稼ぐ程度のものでした。

なにげに撮っていた<よしの川>と<あしずり>の並びです。こうして見ると四国の急行ヘッドマークはいかに実用第一であったかがわかります。なにしろ急行はぜんぶこの車両だったんですから・・・。間違えて高松に戻らんように・・・、と。
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急行<よしの川>は吉野川沿いの村々を一気に駆け下り、徳島へ。普通列車に変身しそのまま終着の小松島港駅へと向かいます。

小松島線はJR化直前のローカル線廃止の嵐の中で消えてゆきました。牟岐線の中田(ちゅうでん)からわずか一駅1.9キロの小松島駅が正式な終着駅でしたし、その1.9キロが営業距離でしたが、実際にはさらに線路は続き、450m進んだ「小松島港駅」がほんとうの終着駅でした。時刻表では『臨』のマークがつく臨時駅としての扱いだったのが不思議なほどです。季節を問わず、毎日列車は出入りして、のどかな賑わいがそこにはありました。和歌山と往来するフェリー乗り換え駅としての役割があったからです。

のどかな昼下がり、割烹着姿で名物の竹輪を売りさばくオバサンたち、そしてオバサンの商売の場に出札窓口を占領されながらも談笑する駅の職員の方々。

春のようなあたたかな陽射しがあふれていた1985年1月11日の忘れがたい風景です。

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by y-gotosan | 2006-02-10 00:07 | 汽笛の風景

春をめざす旅 Ⅴ

バスからお下がりでもらったロマンスシートと元からのベンチシートが窮屈に向き合う電車内です。
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いっぱいに描かれているのは瀬戸大橋を中心にした郷土のにぎやかな未来。
高層ビル、電波天文台(?)、ローラーコースター・・・。
でも この電車の居場所がないことに哀れを感じてしまいました。
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でも、どうでしょうこの堂々とした駅舎。
電車は「軽」なみだけど本州と四国との往来にも貢献していた過去のにぎわいを想像できるようなたたずまい。
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駅から波止場まではほんの少し、その間をこんな渡り廊下のような屋根つきの通路が延びていました。この回廊にたくさんの足音がこだましていた頃もあったのでしょうね。

屋根つき通路は、四国丸亀へ向かう「関西急行フェリー」と社名はカッコイイもののフツーの小さなフェリーボートの乗船口に自然に導かれています。

瀬戸大橋と並行して進む船上からは工事の進捗状況がばっちりで、まるで「視察」をしているようでした。

いい終着駅と波止場に出会えました・・・。
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by y-gotosan | 2006-02-03 23:20 | 汽笛の風景

春をめざす旅 Ⅳ

松江のユースホステルを辞して、岡山行きの<やくも>に。左右に車体を傾けながら瀬戸内めざしての疾走が始まりました。
「陰陽の境」はいったいどこなのかは、さして高くないおだやかな表情の山々の合間に人間の営みがずっと続くせいでしょうか、境、というほど明確なポイントはなかったような・・・。そこかしこに雪があったに鳥取県、つまり山陰側最後の停車駅だった生山から25分ほど、岡山県に入り「間もなく新見です」というアナウンスが流れる頃にはこんな風景に変わっていました。
<備中神代-新見>
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いつも活気あふれる大ジャンクション岡山で宇野行きの快速電車に乗り継ぎます。終点で宇高連絡船をつかまえれば2時間かからずに高松に着いてしまいますが、連絡船は最後のお楽しみにして茶屋町駅で快速を降り、路線バスで児島市へ向かったのでした。 
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1990年に廃止された下津井電鉄です。幅わずか762ミリというか細い線路に小さな車両が走るいわゆる軽便鉄道です。他に競合する交通機関がなかった大昔には文明の象徴だったにちがいありませんが、いまとなっては存在意義もなくなり下津井電鉄の児島-下津井間約7キロが日本最後の旅客営業をする軽便鉄道となっていました。

四方八方クルマであふれる児島の中心街、バスを降りてからしばらく駅を探してしまいました。
小学校にこの春入学かな?といった年恰好の少年が改札口のラッチで遊んでいました。
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やってきた電車には「赤いクレパス号」という大きなヘッドマーク、車体いっぱいに描かれたド派手なペインティングにまつわる思いは次回で・・・。
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by y-gotosan | 2006-02-01 20:14 | 汽笛の風景

春をめざす旅 Ⅲ

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出雲大社に象徴される出雲は神々の国。
十月を神無月といいますが、それは出雲以外の呼び方であって出雲では「神在月」というのだとか。八百万の神々が十月に出雲大社に集合して会議だか、慰安だったかを催すという言い伝えによるものです。
大社門前の「えびすやユースホステル」で聞いた話ですが、宍道湖を中央に挟んだ島根半島のあたりは大好きな旅先でした。

県都・松江と出雲市を宍道湖南岸経由で結ぶ山陰本線に対し、北岸経由で結んでいるのが私鉄の一畑電鉄です。経営の苦しいローカル私鉄の常で運賃は東京感覚ではびっくりするほど高いのですが、その沿線のたたずまいが好きで、この区間の移動のさいにはワイド周遊券を持っていたにもかかわらず片道は乗っていました。

ひるさがりの松江ゆき電車からだろうと思われます。
こんな一瞬の光景だけで語っては、地元の方には申し訳ないのですが陰鬱な空から差し込む弱々しい冬の陽射しに「あー、『山陰』だなー」と感じました。

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by y-gotosan | 2006-01-25 21:51 | 汽笛の風景

春をめざす旅 Ⅱ

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ついさっきまで今日から始まった新番組「神はサイコロを振らない」を見てました。
10年前に消息を絶った旅客機が「いま」に飛んできた・・・。「喜びの再会」ばかりではなさそうなこれからの展開に、欠かさず見てしまいそうです。

閑話休題。
21年前の餘部です。
JRになった時期と社会人になった時期とがほぼ重なる私にとって、JRになってからは遠出の機会が減り、餘部はこの時が最初で最後の訪問です。
あたりまえですが、国鉄の列車です。昭和60年の地方幹線を走っていた連中です。いまになれば垂涎モノですが、これが当時の山陰本線でした。

これだけイベントばやりでノスタルジックなものが受けるのであれば、JR各社でカネを出し合って共同で古い車両を保有していてはどうかとも思います。
保存車を動態復活ではありません。設計図は残っているでしょうからオハユニ61も、スハ43もキハ82系も全部新製するのです。いまの高速ダイヤにはついていけないから電車と気動車は足回りだけ今風の最新技術で、旧型客車の手動ドアはいまとなっては危なすぎるので時速×キロ以上になったら自動的に閉じるような装置を目立たせずにさりげなく組み込むことは現代の技術なら十分可能でしょう。

国鉄時代を知るスタッフがどんどん減ってゆけば昔のままの状態で動態保存しても維持が難しいし、地方幹線にも高速化が波及する中ではサファリパークの動物のようにきわめて限られた範囲でしか動けないわけで、ならばいっそのこと、と思う次第。
テレビや映画の需要もありましょう、いつまでも大井川鉄道に任せていないで日本を代表する鉄道企業グループのプライドでやってくれませんかねぇ。外観と車内さえ再現できれば、走行装置は681系のボンネット型特急電車が130キロ以上で疾走しても誰も文句は言いますまい。

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餘部から確か、鳥取か倉吉で<だいせん1号>に乗り移り、出雲市から大社線で大社。旅日記はそうなっています。香住駅だったと思います、長距離鈍行にありがちだった長時間停車の折の一写もついでに。
ホームのない反対側のドアも開けっ放しになっているようです、そこだけ明るい雪で気付きました。イイ感じですね。
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by y-gotosan | 2006-01-19 00:14 | 汽笛の風景

春をめざす旅 Ⅰ

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旅は山陰本線餘部、天空に架かるトレッスル橋から始まります。
前夜東京を<出雲3号>で出発。早暁の豊岡で鈍行列車に乗り換えて辿り着きました。雪晴れに恵まれた大鉄橋は雄大の一語に尽きました。

上から下から、好ましい小漁村をうろうろしたままのネガのどれをアップしようか、いまだに迷っていますが、まずは「いよッ!松風家~!」と声をかけたくなるような天井桟敷からのアングル。
鉄橋に降り積もった雪が振動でこぼれ落ちているのがおわかりですか?

千両役者<まつかぜ1号>、大阪から山陰を経て九州博多への長旅は、この橋を渡ることで第二幕の幕開けでしょうか。

<1985.1.10 山陰本線鎧-餘部>
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by y-gotosan | 2006-01-14 23:26 | 汽笛の風景

冬の旅Ⅳ  ~雪夜

2005年もあと2日で終わり。更新が滞りがちなのにもかかわらず弊ブログは今週はじめに5000hits達成。いつも遊びにおいでいただく皆さんに深く感謝しつつ、慌しい中でひさびさの更新です。

また明日夕方から暴風雪の予報です。
道路は両側が3m近い雪壁に閉ざされた回廊と化しました。走りなれているはずなのに風景が消滅し、普段ならよく見えるラーメン屋の込み具合もわからなくなってしまいました。我が家も含めて1階は完全に雪に埋もれ、きょう張り切って屋根の雪掘りをしたお宅では屋根はすっきりしたものの2階が半分ほど見えなくなっています。いったいいつまで降り続くのでしょう。
今年の1月下旬から2月中旬にかけてもそれはものすごい豪雪でしたが、日がいくらかは長くなっていたし、でそれに暦の上では「立春」前後の時期でしたのでまだ救いがありましたが、今回はこれからが「大寒」じゃないか!
・・・うんざりを通り越して恐ろしくなってきます。NHKお昼のニュースの冒頭いつも出てくるドピーカンの西新宿摩天楼群にコタツのみかんを投げつけたくなります。

でもまだあの旅は終わっていませんでした。
雪のある夜景を選んでみました。


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<1986.12.30 函館本線仁山信号場 光跡は函館ゆき北斗86号>

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<1985.1.14 函館山より函館駅を望む>

この旅の際には函館山々上で新年を迎えました。連絡船も含めて港内に居合わせた船が午前0時を期していっせいに汽笛を吹き鳴らし、寒さを忘れて感激したことを思い出します。でもそのときの写真はブれているため、その前年の黄昏時の撮影のものでご勘弁ください。連絡船は十和田丸、おりしもこの便に接続する特急列車が函館駅に接近中です。
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by y-gotosan | 2005-12-30 00:11 | 汽笛の風景

冬の旅 Ⅲ

北海道へ渡ると、同じ雪景色でも青森と異なり乾いてみえるのが不思議です。
函館から普通列車で30分ほどの大沼一帯で1日を過ごしました。
国鉄民営化を翌春に控えていただけに、特急列車は国鉄伝統カラーから北海道独自カラーへの塗り替えが進行中でした。しかしこのいっけん東武スペーシアふうのカラーもいまや過去のものになっています。旧型気動車の廃車回送の臨時列車も見ましたし、タラコ色のローカル列車はどんなカラーになるのかなぁ・・・、急速に進みつつある国鉄の払拭作業を眼にしながら、複雑な心境で歩き回っておりました。
<3点とも1986.12.30 函館本線 大沼公園駅付近で>

「湖畔」
国鉄からJR(86年暮れの時点ではまだこの通称は公にはなっていなかったと思います)に向けた先述のイメージチェンジ作戦過渡期にしてもどうにかならんか、このマダラ!
憤慨しつつも「記録」と割り切りシャッター切った特急「北斗」です。
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「駒ケ岳」
車窓から何度も見てきたこの美しい光景も思えば歩く速度で眺めたのは初めてでした。「原野」だの「荒野」だの青年がヨロコブ言葉に導かれて素通りしてきましたから・・・(汗)
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「次は終着函館」
大沼公園駅を函館ゆき上り<北海2号>が発車してゆきます。
小樽、倶知安、ニセコ・・・厳しい峠道をクリアしてきた痕跡をうっすら残して、豪快に紫煙を吐いて加速してゆく後姿にしびれました。
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by y-gotosan | 2005-12-12 22:05 | 汽笛の風景

冬の旅 Ⅱ

「鶴、雁行。」
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このころ
上野-青森間の寝台特急列車は東北線経由の<はくつる>が2往復、常磐線回りの<ゆうづる>は3往復という陣容でした。あたかも大空を舞うほんものの鶴のようにつごう五羽がみちのくの夜を雁行していたわけです。
ほかに奥羽回りの<あけぼの>、自由席メインの急行列車は<八甲田>と<津軽>がありました。東北新幹線開業前から比べれば縮小されてはいましたが、それでもこの錚々たるラインナップ。私も帰省ラッシュに割り込んで<ゆうづる>のベッドをやっとこさ押さえ、この旅に出たのでした。

青い夜行列車群が踵を接して到着し、連絡船が駆け込む乗客を引き取って汽笛を吹き鳴らす・・・・。そんなあの唄の一節そのままの世界があたりまえに繰り広げられておりました。

<真中の2枚 1986.12 野内-浅虫>
<さいしょとさいご いずれも青森駅>
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by y-gotosan | 2005-12-01 21:35 | 汽笛の風景