カテゴリ:汽笛の風景( 34 )

冬の旅 Ⅰ

『空知丸、咲いた。』
 1986年暮れから87年にかけて青森・函館あたりを撮り鉄した折のショットをお目にかけます。

雪が小康状態のなか、津軽海峡を越えました。
鉛色の海と暗い空の中にぽっかりスポットライトがあたった空間を函館めざして進む連絡船「空知丸」です。
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<1986.12 津軽海峡>

『浅虫、厳冬』
<はつかり>南へ。
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<1986.12 野内-浅虫(現・浅虫温泉)>
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by y-gotosan | 2005-11-29 21:39 | 汽笛の風景

朝日の『ものさく』

「横-総」快走
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千両役者の花道
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のどかすぎるふみきり
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ラスト・ランニング
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飛翔
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轟沈、<さざなみ4号>
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2005年11月8日の『ものさく』、総武本線 物井-佐倉 です。

京成本線勝田台駅近くのホテルを6時過ぎに出発、迷いながらも『ものさく』に辿り着いた時の驚きは言葉になりませんでした。こんなフィールドが東京通勤圏内にある奇跡、周囲の宅地開発の波の中にぽっかり残ったのどかな田園風景。

「♪・・・いーまは鉄橋渡るぞと 思う間もなくトンネルの闇をとおって広野原・・・」

唱歌の一節そのままの光景がそこにはありました。
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by y-gotosan | 2005-11-12 08:30 | 汽笛の風景

トーキョー・トレインⅡ

① <能登>上る
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② めざめたりねむったり
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③ <北陸>も上る
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④ スカイライン
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「イイ娘、入りましたヨ・・・」「のぞいてきませんか・・・」「写真だけでも・・・」「見るだけならタダ・・・」。そうした無数のお誘いを辞退して「ものさく」の反省会を催した西川口、さすが伝統のフーゾクの街。でも買い物帰りのママチャリが行き交う住宅街でもあります。
店先で焼き鳥を焼くお兄さんをカウンターの奥から何とはなしに眺めていると、そのうしろを短い汽笛を鳴らして特徴ある窓明りの列・・・<北斗星3号>が流れてゆきました。・・・至福のひとときですね。

この4枚は西川口-蕨での撮影です。
①は<はくたか>でおなじみのボンネット車両唯一の定期運行列車である金沢発上野ゆき<能登>。朝焼けが素敵だったので後追いになりました。
②まだ夜の西川口ラブホテル群を駆け抜ける・・・。このタイトル、ちょっと意味深だったでしょうか(笑)。
③はパンタグラフに焦点が行ってしまった失敗作ですが、ご笑覧を。
④はビルの稜線の影が徐々に短くなってゆくのがおもしろくて、「スカイライン」というタイトルをつけてみました。こうしてみるとトーキョーの鉄道はビルの山脈を潤おす渓谷の流れのようですね。



⑤ Pleased meet "TX".
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⑥ ひなたぼっこ
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⑦ 新線
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昼休みは江戸川河川敷にクルマを止めて・・・。
地図とにらめっこして「つくばエクスプレス」の線路端に行ってしまいました。

トーキョーの東側のビッグプロジェクトは京葉線にせよ東武の複々線にせよ、あるいは外環自動車道や首都高の中央環状線にしてもスグに出来てしまうな、という印象があります。小田急の複々線など計画が具体化して40年経つのにいまだに未完、外環の大泉以西に至っては開通時期はまったく不明という状態を思えば、TXこと「つくばエクスプレス」はホント凄いです。秋葉原から地下を走って南千住で地上に現れますが、TXのスペースをひねり出すために常磐線が線路付け替えなどの準備工事を始めたのはほんの7,8年前のこと。全長60キロ近い新鉄道がわずか10年足らずで出来てしまったのにはまったく驚きました。

だから車両のみならず構造物すべてがまだピカピカです。高架下もまるで模型のレイアウトのそれのようにキレイです。落書きはないし、雑草すら生えていません。青空の下延々と続く防音壁を見ているうちに、よくポスターなんかで見かけるエーゲ海の紺碧と純白の家並みの鮮烈な風景が頭をよぎり、あのイメージでつくばエクスプレスを眺めてみました。ありていに言えばまだ汚れていない構造物をメインにして電車が上半分しか見えない難点をカバーしてみたつもりです。また電車狙いに訪問せねば・・・。

⑤から⑦は全て三郷中央-南流山、江戸川橋梁の流山側での撮影です。

橋をしばらく眺めているうちにゆるくS字カーブを描いていることに気が付きました。埼玉県側のカーブが橋梁まで食い込んでしまったので緩和曲線を入れてS字にしたのでしょうかね。美しくみえる視点を探してみるのもたのしく、なにげに優雅な橋です。
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by y-gotosan | 2005-11-11 00:05 | 汽笛の風景

もうすぐ一年

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10月23日がめぐってきます。
その瞬間までは楽しくものどかな土曜日でした。午前中の町のイベントに息子が鼓笛隊で出演していました。それがなければ天気もよかったことだしあの奇跡の生還劇のあった道を通って長岡あたりに出かけていたかもしれません。下の娘は昼間遊びすぎて珍しく昼寝中でした。息子はテレビを見ていました、家内は夕食の支度中でした・・・。

17:56の本震で食器戸棚やら本棚は倒れてしまい、その時点で家の中はぐしゃぐしゃになってしまいましたが、ここ六日町で最も揺れたのは18:20頃の大きな余震2回目の震度6弱です。
本震から間もなく停電してしまい、家の中で一夜を過ごすのは困難と判断してクルマを準備しているときでした。足元がすくわれるような激しい揺れに、一緒に振動するクルマのルーフレールにつかまってこらえていたことを今でも鮮明に思い出します。

当時住んでいた家のお隣は定年間近い警察官のご夫婦で、非番だったご主人が職場に急行したあとひとりだけになった奥様を案じて我が家のクルマにお誘いし、あとはひたすら車内でラジオを聞き続けていました。でも同じ事の繰り返しで肝心なことは何もわからない。小出も十日町も避難所を開設したというのは何度も聴いても、六日町のムの字も出てこない。『六日町では幸いさほどの被害はない模様』ならそのことを伝えるべきなのに放送局に電話する機転の利く役場職員はいないのか?次第に腹が立ったことも記憶しています。

この夏、東京でも比較的強い地震があった際に電車が何時間も止まる事態になりました。「週末だったので線路点検をする要員の確保に手間取った」と後日鉄道会社のコメントがありましたが、災害は週末を避けてくれはしません、どんなときにでも有効な初動体制を確立する努力はしなくてはならないはずです。新潟のことを教訓にしているとは思えないコメントをとても残念に思いました。

話しを23日に戻します。次第に体が絶えず揺れているような感覚に陥ってきました。それほど余震は多かったと思います。ラジオも間髪を入れずにその事を報じます。震度3か、弱かったネ・・・、慣れとは恐ろしいものです。「揺れている感覚」はそれから1週間ぐらいは常にありました。
そして寒く、心細かったです。10時を過ぎる頃、お隣の奥様が3キロほど離れたところに居る息子さんの妻子(息子さんは湯沢の旅館で泊まり勤務中)と合流したいということで連れてゆきましたが、交通信号さえ消えた町は静まり返り、暗黒の中でした。経験したことのない闇です。そして満天の星空でした。放射冷却現象で気温はどんどん下がります。クラクションを鳴らして慎重に国道17号線を横断してゆく途上、あちこちで焚き火が始まっていました。火を、そしてそれを囲む人々を目にしたときひどくほっとしたことも記憶しています。

色々なことを考えた夜でした。みな無事でよかったけど・・・仕事はどうなるんだろう・・・子供のトラウマにならないだろうか・・・いつふつうの暮らしに戻るのだろう・・・エトセトラエトセトラ・・・。でもとにかく早く夜明けになってほしかった。
午前2時過ぎ、最優先で電気を送らなければならない役場や警察への送電ルート上に家があった関係でどこよりも早く電気が復旧しました。暗黒が続く町並みにすこし後ろめたさを感じながら、でもすこし安心して眠りに落ちました。

二度と経験したくありませんがこの国に居る限りはもう一度くらいはあるかもしれません。
備えましょう、それしかありません。

あれから2ヶ月ほどはほとんどカメラを触っていません。別に自粛していたわけではなく、そうした気分になれなかったのです。記録はそれを仕事にしている人に任せて、前代未聞の新幹線代行バスも、ガーラ湯沢近くの国道17号とのアンダークロスで終着駅を目前にして地震に遭遇し、それから10日近く同じ場所に止まっていた<はくたか>も撮っていません。1枚だけ、あす小出まで復旧という前日に五日町駅付近でレールを撮りました。赤錆びたレールの先は、大変な被害を受けた堀之内、川口、小千谷方面です。『ガンバりましょう』、赤錆びたレールもいつかは輝きを取り戻す日が来る、自分に、家族に、そしてこの地に暮らすすべての人に気合を入れる感じで撮った「新潟県中越地震」のぼくの唯一の記録です。去年もここで公開していますが再度、エールを送りたいと思います。

『がんばってます このレールも輝いてます 新潟より感謝を込めて』
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by y-gotosan | 2005-10-20 22:52 | 汽笛の風景

晩秋 道東

「聖地 増田山」
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そこは憧れの場所。
「熊出没注意」の看板に身を引き締め広大な畜産試験場の中を登ることしばし、大展望が開ける。
根室本線 広内信号場と西新得信号場の間にある増田山トンネル真上の丘のてっぺん。狩勝峠のサミットへ雄大なカーブを繰り返しながら高度をかせいでゆく線路が一望できる場所。特急列車でさえ視界に現れてから、足元のトンネルに消えるまでに5分はかかるほど。

鉄道にまるで興味のない人を連れて来たくなる。絶景である、と言い切っていいと思う。
燃えるような紅葉は見えない、というか既に終わっている。いまは色づいた落葉松だけ。11月の声をきいた北海道は既に初冬の気配。落葉松林は遠望するとセーターの模様のよう、不思議とあたたかな感じがする。

華やかな特急列車の合間にローカルの気動車が1両で登って来た。
じきに長い冬が始まる。1ヵ月後にはこんなに気楽に増田山に立つことはできないだろう。
牛たちも牛舎に集められ、生の気配は間もなくこの視野から消えることだろう。

<1986.11.2 根室本線増田山トンネル上 上り普通列車>


「黄昏からの終着駅、そして明日への始発駅」
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増田山の数刻を堪能した後、釧路へ向かった。
夜のホームに再び立って鉄活動。
ファインダーを覗き込んで準備をするうちに、ホーム事務室から助役さんも出てきて迎えの定位置につく。

滑り込んでくるのは夕方札幌を発ってきた特急<おおぞら>
入れ違いに明日朝の札幌をめざす急行<まりも>
旅がひとつ終わり、ひとつまた始まる。

翌日、釧路近辺での撮影を終え、午後の<おおぞら>で帰京した。見送り人が多いのに驚き、発車ベルが鳴り止むと「蛍の光」が流れ出すのにもっと驚く。まるで船の出港ではないか。北海道の東のはずれは熱い町なのであった。

<1986.11.2 釧路駅>
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by y-gotosan | 2005-10-12 06:10 | 汽笛の風景

ふらり北陸 袋小路 その2

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寒さに湧き上がる海の水蒸気
荒波
貨物船の影
かすかにみえる遥か立山のスカイライン

すべてはこれ以上は削れない逆光のモノトーンカラー

そこにもうひとつ
氷見線雨晴駅のひょろりとした
上り出発信号機を加えよう

海際に立つシグナルは
まるで天然のもののよう
汽車の運行を司る・・・それだけのためのものにはとてもみえない


<1982.11.3 氷見線 越中国分-雨晴>

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by y-gotosan | 2005-10-05 19:03 | 汽笛の風景

ふらり北陸 袋小路 その1

1982年11月2日
新幹線で名古屋着。夏の弘前で知りあった金城大学YH研の面々とその学園祭で再会。
23:00すぎ、名古屋駅に戻りそのまま高山線経由金沢行きの<のりくら9号>に乗り込んだ。

翌早朝に高岡着、まだ真っ暗。
砺波平野を南へ伸びる城端線を袋小路散策のスタートにする。

・・・当時の旅日記から。

夜風とも朝風ともつかない
晩秋 午前五時の風
それを受けつつ、スチームをその風に吹き流して
城端線一番列車は走る

列車番号は321
けれど朝の予感をはらんで闇をゆく古びた客車は”銀河鉄道999”のよう
やっと人影--車掌--が現れる
ロボットじゃなかった・・・・とふと思い、笑う

いつのまにか東の空が紅く染まっていた
ブルーの大気が突如色づく瞬間がやって・・・きた!


<上:城端線321列車、途中の無人駅通過を最後尾から>
<下:終着駅であり、始発駅の城端にて>
 

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by y-gotosan | 2005-10-03 21:24 | 汽笛の風景

あのころ、塩田平で その3

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侘しさを感じる、寂しさを感じる、あるいはコワイ・・・思いは色々ありそうだが、いま見返すと私にはどんなテーマパークよりも楽しいところというかんじ。沿線のほぼ中間、上田原駅に隣接した車庫を訪問した。
「どうぞ、適当に撮って」てな対応だったと思う。どこまでが車庫の敷地でどこからが田畑なのかはっきりしない裏のほうに回ると二度と走ることのない廃車体が居並ぶ。暖かな陽射しのもと、あっけらかんと広がる光景に・・・やがて土に還ってゆく電車たちに夢中でシャッターを切り続けていた。


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乗車率200%を超えた10両編成の電車が2分間隔の並行ダイヤで都心をめざす・・・日頃接している世界と異なるあまりののどかさに、いまどきの流行りコトバでいくと「癒されていた」のかもしれない。
波打つか細いレール、所々傾いたりしながらも架線を支える支柱、ときに田園を、ときに塩田平の村なかをめぐる電車の施設は風景にすっかり溶け込んでいたようである。階段の昇り降りをせずにすっと電車に乗り降りできる駅もそう、足元が地についた安心感みたいなものを電車に乗る者たちにあたえていたように思う。

また、ゆったりと温泉ゆき電車が、歩いてきた・・・。

<このシリーズおしまい>
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by y-gotosan | 2005-06-24 22:08 | 汽笛の風景

あのころ、塩田平で。その2

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先頭は最近、移籍してきたばかりのもと東急電鉄5000系。昭和29年生まれ。
軽量化を徹底追及した末に生まれた断面をみるとおにぎりのような形のモノコックボディはほかに類例のない斬新なスタイル。運転台を後付けする大改造を受けていても一目瞭然。
うしろに従うのは「丸窓電車」。正式にはデハ5250型。昭和2年生まれ(!)。
この鉄道生え抜き。

生まれも育ちもまるで異なる電車同士が手を取り合って黄昏時の塩田平を駆ける。


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1997年秋。
上田は開業した「長野新幹線」の停車駅になった。
そして新幹線とひきかえにJRは信越本線の経営を手離し、それを長野県が買い取って第3セクター「しなの鉄道」になった。
さらに、新幹線開業に合わせて駅も高架化されたらしい。

わずか21年前、というつもりが21年も昔の、と言わなければならないほど温泉ゆき電車の始発駅は変貌してしまったようだ。

この写真は前夜泊まった駅前の「東急イン」の客室から撮ったもの。
信越本線のホームには上野ゆき特急<あさま>を待つ人々が集い、温泉ゆき電車のホームにはラッシュ輸送のために、上田交通の動ける電車がみな集まってきたかのような賑わいを見せている。

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昨日に引き続き下之郷のカーブに向かう。昨夕とは反対に順光となるカーブ南側に立つと背景にぽっかりそびえる残雪の独立峰。浅間山である。塩田平から見えるとは思っていなかったのですっかり嬉しくなってしまった。

<つづく>
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by y-gotosan | 2005-06-17 22:06 | 汽笛の風景

あのころ、塩田平で。 その1

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 まるで汽船の舷窓のような丸い窓。
 実用とは無関係、造形美というべきか遊び心というべきか、田舎の古い電車が丸い窓ひとつで優雅にみえる、そして有名になった。
 上田交通別所線。信越本線の上田を起点に塩田平と地元では呼ぶ盆地を南西に走り、山ふところに湧き出る温泉町、別所を終着とする11.6㌔の小さな鉄道だ。でもこの正式な呼び方はどうも好きではない。「ナントカ交通」ではバスだか何の乗り物だかわからない。以後は勝手に温泉ゆき電車と呼ぶことにする。

 あのころ、とは1984年の4月26・27日。おそらくそのとき以来はじめて、そんな日付が書き込まれたネガ袋を開けてみた。


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 小淵沢の大カーブを甲斐駒バックによじ登る小海線キハ56がネガの冒頭に出てくる。てことは、そのあと茅野から白樺湖、和田峠を経て丸子町に出たのだろうか。この撮影行は当時のバイト先だった小田急新宿駅学生班の仲間と一緒だった。野郎3人で白樺湖だのビーナスラインだのなんとも場違いなことよ!とお互いを恨んでいたような。そんなドライブコースもあって温泉ゆき電車の撮影は上田からではなく、いきなり終点別所温泉近くの山から俯瞰で始まっている。
 塩田平がいよいよ尽き、迫ってきた山の気配がゆるやかながらも田園を棚田にさせる。そのなかを懸命に登って行く。「頑張れ頑張れ」と声をかけていただろうか・・・・。


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 いまの折り返しの電車が別所温泉を発車、上田へと下り始めたところだ。湯けむりが望めないのが残念だが、温泉旅館らしき建物がちらほら。

 さてさっきまで1両だけだったのに2両になっている種明かしはこう(山上から一部始終を見学させていただいた)。
 朝ラッシュにカタをつけた2両編成の電車は上田からここまで回送同然で登ってくると、1両は置き去りにして、残った1両だけで日中の閑散時を過ごす。夕方のラッシュが近づくと再びもとの2両に戻って山を下り、上田からの帰宅のアシになるというわけ。
 見るとおり、ようやく確保しました!という用地買収担当者の誇らしげな報告が聞こえてきそうな(?)狭い平地に駅はあるが、構内手前に急勾配の本線に対してこちらに画面左へ張り出したような平坦な引込み線が見えるのがわかるだろうか。スイッチバックの折り返し線のようだが、これが1両分の昼寝のスペース。まったくムダがない。
 現在の温泉ゆき電車はこの当時の古い車両を一掃し、東急東横線おさがりのステンレスカーで運転されているようだ。しかし都会の通勤電車では1両単位のこまめなローテーションは不可能なはずで、2両のまま日がな一日行ったり来たりしているのだろう。それとも改造して1両単位で走れるようにしたかはわからないが、「古い電車じゃ保守にカネがかかる、さりとて新しくすると・・・」。いろいろあったんでしょうね。

≪つづく≫
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by y-gotosan | 2005-06-14 22:14 | 汽笛の風景