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一番星の時間 2

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10月11日の夕映えです。この秋いちばんの光景が残せました。
この撮影から3週間、明日からは11月。その声を聞けば季節は晩秋から初冬へとその名を変えてゆきます。

追伸:この記事で100本目!

<塩沢-六日町 1018Mはくたか18号 EOS55 28-80mmF3.5-5.6USM f4.0 4Sec TREBI400>
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by y-gotosan | 2005-10-31 19:45 | 上撰 越乃白鷹

鉛色の海辺の長い朝 

①トワイライト・タイム

2005年10月10日午前5時半、聖ケ鼻のポイントに着いた。もうすぐ札幌からのトワイライト・エクスプレスがやってくる。
"TWILIGHT"というコトバ、ぼくはずっと「黄昏」と理解してきたが、改めて辞書をひいてみると夜明けも含めた薄明るい時間帯全般を示すコトバだということを知った。
灯ったままの街灯や8号線を行き交うトラックのライトが明けやらぬ時間の中に居ることを教えるなか、ダークグリーンの車列が足元のトンネルから勢い良く飛び出してきた。
食堂車はまだ閉店したまま。わずかに流れる明かりは車側の行き先表示と、早起きの乗客がカーテンを開けたコンパートメントの窓だろう。トワイライト・エクスプレスはまだ明けぬ夜を乗せて、トワイライトを駆け抜けていった。

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②快速くびき野1号

料金なしで特急車両のリクライニングシートで快適に移動できる・・・。高速バスに対抗して運転を始めた<快速くびき野号>。県都と中越・上越の町々を結んで日に2往復運転中。
この列車専用に運用されている485系特急型電車がほんらいの特急の仕事に入ることは、今後二度とあるまい。

通勤通学客に愛されながら、最後まで美しい姿で任務をまっとうしてほしいと願う。

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③上輪俯瞰の偵察
いざとなるとジタバタするのが悪い癖だ。やっぱり正面から迎え撃てる方がいいかもと思い始め、どうせ時間なら腐るほどあるのでトンネル1本抜けた上輪集落へ偵察に出てみた。集落へ下る道からの眺めもなかなか好ましいが、あれこれ考えた挙句に結局聖ケ鼻に戻ることに。
ここにも既に2,3人の方がスタンバイしていたが、ここに居た15分ほどの間にさらに数人加わった。折りよく通過した上り普通電車に敬意を表し、一写。

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④怒涛の<北越>
<くびき野>と同じ塗装、配置も同じ新潟。違いといえば4両か6両かという長さだけ。
でも6両編成のグループはバリバリの特急現役組で<いなほ>で北は青森、南は<北越>で金沢までの日本海縦貫線を走り回る。
六日町で<はくたか>相手に試みているフレームアウトにこの<北越1号>でもトライ!、手持ちで振り抜きながらシャッター切ったらなかなかいい感じの収まりになった。
嬉しいのであえてフチまで入れたノートリミングで仕上げてみた。

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⑤真打ち登場
<SLえちご日本海号>、今年はご覧のとおりの失敗である。安全弁からわずかに蒸気を洩らすだけの絶気運転に、こちらは絶句状態。

この米山駅俯瞰アングル、雑誌でもおなじみの有名撮影地だが、いままでこんなににぎやかな情景は見たことがない。
荒波打ち付ける淋しい小漁村というイメージで凝り固まってしまうと、この線路際に集まってきた地元の方々は迷惑な存在かもしれない、が、改めてスリーブを見ると「いいなぁ」とひとりごちてしまったのである。

米山の家並みは風景を侘しく見せる書割ではない。あたりまえのことなのだが。

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おまけ: 1年3組なつき撮影
珍しく息子が一緒に行きたいと前夜になって言い出し、4時出発にもめげずについてきた。コンデジを手渡し適当に撮らせていた中での1枚。2メガの旧式カメラだったので山上からのズーム撮影は全滅状態だったが、線路端に下りた折の1枚は機関車に合わせてちゃんとカメラを振り、流し撮りになっているではないかいな!
7歳の初鉄道写真、これは彼のウデを親馬鹿が称えるためにもノートリミングであることを強調しておく・・・。

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by y-gotosan | 2005-10-29 16:08 | 上撰 越乃白鷹

一番星の時間

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10月の始め頃、夕陽が綺麗な日には道草して17時45分頃の<はくたか17号>、18時少し前の<18号>と向き合っていました。
南西の空の一番星は、天体にはまったく疎い私には何だかわかりませんが、印象的な光を放っています。

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by y-gotosan | 2005-10-23 21:40 | 上撰 越乃白鷹

もうすぐ一年

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10月23日がめぐってきます。
その瞬間までは楽しくものどかな土曜日でした。午前中の町のイベントに息子が鼓笛隊で出演していました。それがなければ天気もよかったことだしあの奇跡の生還劇のあった道を通って長岡あたりに出かけていたかもしれません。下の娘は昼間遊びすぎて珍しく昼寝中でした。息子はテレビを見ていました、家内は夕食の支度中でした・・・。

17:56の本震で食器戸棚やら本棚は倒れてしまい、その時点で家の中はぐしゃぐしゃになってしまいましたが、ここ六日町で最も揺れたのは18:20頃の大きな余震2回目の震度6弱です。
本震から間もなく停電してしまい、家の中で一夜を過ごすのは困難と判断してクルマを準備しているときでした。足元がすくわれるような激しい揺れに、一緒に振動するクルマのルーフレールにつかまってこらえていたことを今でも鮮明に思い出します。

当時住んでいた家のお隣は定年間近い警察官のご夫婦で、非番だったご主人が職場に急行したあとひとりだけになった奥様を案じて我が家のクルマにお誘いし、あとはひたすら車内でラジオを聞き続けていました。でも同じ事の繰り返しで肝心なことは何もわからない。小出も十日町も避難所を開設したというのは何度も聴いても、六日町のムの字も出てこない。『六日町では幸いさほどの被害はない模様』ならそのことを伝えるべきなのに放送局に電話する機転の利く役場職員はいないのか?次第に腹が立ったことも記憶しています。

この夏、東京でも比較的強い地震があった際に電車が何時間も止まる事態になりました。「週末だったので線路点検をする要員の確保に手間取った」と後日鉄道会社のコメントがありましたが、災害は週末を避けてくれはしません、どんなときにでも有効な初動体制を確立する努力はしなくてはならないはずです。新潟のことを教訓にしているとは思えないコメントをとても残念に思いました。

話しを23日に戻します。次第に体が絶えず揺れているような感覚に陥ってきました。それほど余震は多かったと思います。ラジオも間髪を入れずにその事を報じます。震度3か、弱かったネ・・・、慣れとは恐ろしいものです。「揺れている感覚」はそれから1週間ぐらいは常にありました。
そして寒く、心細かったです。10時を過ぎる頃、お隣の奥様が3キロほど離れたところに居る息子さんの妻子(息子さんは湯沢の旅館で泊まり勤務中)と合流したいということで連れてゆきましたが、交通信号さえ消えた町は静まり返り、暗黒の中でした。経験したことのない闇です。そして満天の星空でした。放射冷却現象で気温はどんどん下がります。クラクションを鳴らして慎重に国道17号線を横断してゆく途上、あちこちで焚き火が始まっていました。火を、そしてそれを囲む人々を目にしたときひどくほっとしたことも記憶しています。

色々なことを考えた夜でした。みな無事でよかったけど・・・仕事はどうなるんだろう・・・子供のトラウマにならないだろうか・・・いつふつうの暮らしに戻るのだろう・・・エトセトラエトセトラ・・・。でもとにかく早く夜明けになってほしかった。
午前2時過ぎ、最優先で電気を送らなければならない役場や警察への送電ルート上に家があった関係でどこよりも早く電気が復旧しました。暗黒が続く町並みにすこし後ろめたさを感じながら、でもすこし安心して眠りに落ちました。

二度と経験したくありませんがこの国に居る限りはもう一度くらいはあるかもしれません。
備えましょう、それしかありません。

あれから2ヶ月ほどはほとんどカメラを触っていません。別に自粛していたわけではなく、そうした気分になれなかったのです。記録はそれを仕事にしている人に任せて、前代未聞の新幹線代行バスも、ガーラ湯沢近くの国道17号とのアンダークロスで終着駅を目前にして地震に遭遇し、それから10日近く同じ場所に止まっていた<はくたか>も撮っていません。1枚だけ、あす小出まで復旧という前日に五日町駅付近でレールを撮りました。赤錆びたレールの先は、大変な被害を受けた堀之内、川口、小千谷方面です。『ガンバりましょう』、赤錆びたレールもいつかは輝きを取り戻す日が来る、自分に、家族に、そしてこの地に暮らすすべての人に気合を入れる感じで撮った「新潟県中越地震」のぼくの唯一の記録です。去年もここで公開していますが再度、エールを送りたいと思います。

『がんばってます このレールも輝いてます 新潟より感謝を込めて』
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by y-gotosan | 2005-10-20 22:52 | 汽笛の風景

2005年秋

周囲の山の稜線が色づき始めました。

もうひとつのHN、「全力中年」の名に恥じない勢いでこの秋は撮り続けています。鉄道漢さん、ずしテンさん、terumiさんはじめ知り合うことのできた同好の士の方々の存在がすごく大きいようです。

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9月25日、石打-大沢間で。この背後、200メートルほどの陸橋上にずしテンさんが縦軸縦流しにスタンバっておられます。私はどうしてもススキと絡めてみたかったのでこの場所から。縦アングルを横にトリミングしてようやく落ち着きが出ました(爆)。原画はかなり間の抜けた構図でございます。参考出品? あるいは時事ネタってことで・・・。



迫力を高めるために、車両をあえて画面からハミ出させる撮影にハマっています。
あちこちで素晴らしいカットを拝見しているのですが、デジタルだったらその場で画像が確認できて便利でしょうね。下の2枚、2週間のタイムラグがありますが、いまだに試行錯誤中です。

<2005.9.23>
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<2005.10.8>
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場所はいずれも六日町駅1番線の長岡方。北越急行からJRへのポイントを渡ってくるので構図が難しいです。2枚並べてみて次回への課題は・・・。

75-300mmの目一杯テレ側で2枚とも撮っていますが、180か200mm位の焦点距離にしてシャッター位置をもっと手前にする。そうすればもう1,2両入って落ち着きが出そうです。
あとは先頭のどのように切り取るか、ですがボンネット車両はほんとに難しいですね。特に屋根上に飛び出したライトの扱いには悩みます。切り取ると昔の<あずさ>181系みたいになるし、スカートもタイミングを逸すると2枚目のように「かつての481赤スカート車」みたいに見えるし・・・。その道のオーソリティの皆さん、お知恵を拝借させて下さい!
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by y-gotosan | 2005-10-14 06:38 | 上撰 越乃白鷹

晩秋 道東

「聖地 増田山」
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そこは憧れの場所。
「熊出没注意」の看板に身を引き締め広大な畜産試験場の中を登ることしばし、大展望が開ける。
根室本線 広内信号場と西新得信号場の間にある増田山トンネル真上の丘のてっぺん。狩勝峠のサミットへ雄大なカーブを繰り返しながら高度をかせいでゆく線路が一望できる場所。特急列車でさえ視界に現れてから、足元のトンネルに消えるまでに5分はかかるほど。

鉄道にまるで興味のない人を連れて来たくなる。絶景である、と言い切っていいと思う。
燃えるような紅葉は見えない、というか既に終わっている。いまは色づいた落葉松だけ。11月の声をきいた北海道は既に初冬の気配。落葉松林は遠望するとセーターの模様のよう、不思議とあたたかな感じがする。

華やかな特急列車の合間にローカルの気動車が1両で登って来た。
じきに長い冬が始まる。1ヵ月後にはこんなに気楽に増田山に立つことはできないだろう。
牛たちも牛舎に集められ、生の気配は間もなくこの視野から消えることだろう。

<1986.11.2 根室本線増田山トンネル上 上り普通列車>


「黄昏からの終着駅、そして明日への始発駅」
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増田山の数刻を堪能した後、釧路へ向かった。
夜のホームに再び立って鉄活動。
ファインダーを覗き込んで準備をするうちに、ホーム事務室から助役さんも出てきて迎えの定位置につく。

滑り込んでくるのは夕方札幌を発ってきた特急<おおぞら>
入れ違いに明日朝の札幌をめざす急行<まりも>
旅がひとつ終わり、ひとつまた始まる。

翌日、釧路近辺での撮影を終え、午後の<おおぞら>で帰京した。見送り人が多いのに驚き、発車ベルが鳴り止むと「蛍の光」が流れ出すのにもっと驚く。まるで船の出港ではないか。北海道の東のはずれは熱い町なのであった。

<1986.11.2 釧路駅>
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by y-gotosan | 2005-10-12 06:10 | 汽笛の風景

10月14日の贈りもの

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14日は鉄道記念日です。1872年のこの日、新橋と横浜の間に日本最初の鉄道が開業したことにちなみます。
そんなわけで133年目のこの週末には新潟でもSLが走ったりするのですが、4年前の10月14日には新幹線ができるまで首都圏と新潟を結んでいた特急<とき>の復活運転がたった1日だけ実現しました。

幼い頃から何十回と乗った<とき>。とにかくいつ乗っても混雑していたという強い印象があります。

正月休み最終日、帰省客とスキー客で超満員。積み残しを恐れた車掌長判断でグリーン車の中まで立ち客に開放、グリーン車モロ181の洋式トイレに座って越後湯沢から上野まで過ごしたこと。・・・越後中里から乗ってきた方はとうとう自分の指定席にたどり着くことができませんでした・・・

冬の土曜の午後、上野駅。スキー客が自由席に列をなし、これ以上はとてもムリと判断された時点で次の次(つまり2時間後)の<とき>に並ぶよう案内していたこと。・・・まだ週休2日の時代ではなく、みんな土曜の午後に殺到していたのですね。

春の午後、ビジネス客で満席の新潟発上りの自由席。隣の号車のデッキが見えないくらいの紫煙がたちこめ、あまりのすごさに小出で下車、ちょうど追い抜く急行<佐渡>に乗り換えてしまったこと。

日頃は東京駅京葉線ホームから館山や安房鴨川に行く特急電車を抜擢しての「ノスタルジック・スペシャル」でしたがこの電車、実際に1982年11月までは新潟に配属されて<とき>に使われていたもの。
秋空の下を駆ける姿は掛け値なしにカッコよかったです。

前の週、ボンネットはくたか相手に練習までして万全の体制で臨んだ一枚。

<2001.10.14 石打-大沢 EOS55 75-300mmF3.5-5.6USM f6.7 1/250sec Provia>
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by y-gotosan | 2005-10-06 22:14 | 上撰 越乃白鷹

プチ冬

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オホーツク海に低気圧、華北に高気圧の典型的な西高東低。冷たく強い雨に、吹き飛ばされそうな北西季節風にマジかよ・・・、と呟きます。前日までの穏やかな秋日和から一転、2003年10月13日は真冬のような空模様で明けました。

汽笛。続いてくすんだ世界に一点のヘッドライト。
いつもは雄雄しい汽笛も吹きすさぶ風の中では消え入りそうな悲鳴に聞こえました。


来週10日、再びここを蒸気機関車が走ります。
今年はどんな空模様が迎えてくれるでしょうか。

<2003.10.13 米山-笠島 「SLえちご日本海号」>
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by y-gotosan | 2005-10-05 21:10 | 上撰 越乃白鷹

ふらり北陸 袋小路 その2

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寒さに湧き上がる海の水蒸気
荒波
貨物船の影
かすかにみえる遥か立山のスカイライン

すべてはこれ以上は削れない逆光のモノトーンカラー

そこにもうひとつ
氷見線雨晴駅のひょろりとした
上り出発信号機を加えよう

海際に立つシグナルは
まるで天然のもののよう
汽車の運行を司る・・・それだけのためのものにはとてもみえない


<1982.11.3 氷見線 越中国分-雨晴>

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by y-gotosan | 2005-10-05 19:03 | 汽笛の風景

ふらり北陸 袋小路 その1

1982年11月2日
新幹線で名古屋着。夏の弘前で知りあった金城大学YH研の面々とその学園祭で再会。
23:00すぎ、名古屋駅に戻りそのまま高山線経由金沢行きの<のりくら9号>に乗り込んだ。

翌早朝に高岡着、まだ真っ暗。
砺波平野を南へ伸びる城端線を袋小路散策のスタートにする。

・・・当時の旅日記から。

夜風とも朝風ともつかない
晩秋 午前五時の風
それを受けつつ、スチームをその風に吹き流して
城端線一番列車は走る

列車番号は321
けれど朝の予感をはらんで闇をゆく古びた客車は”銀河鉄道999”のよう
やっと人影--車掌--が現れる
ロボットじゃなかった・・・・とふと思い、笑う

いつのまにか東の空が紅く染まっていた
ブルーの大気が突如色づく瞬間がやって・・・きた!


<上:城端線321列車、途中の無人駅通過を最後尾から>
<下:終着駅であり、始発駅の城端にて>
 

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by y-gotosan | 2005-10-03 21:24 | 汽笛の風景