「ほっ」と。キャンペーン

春をめざす旅 Ⅲ

a0020932_21303274.jpg

出雲大社に象徴される出雲は神々の国。
十月を神無月といいますが、それは出雲以外の呼び方であって出雲では「神在月」というのだとか。八百万の神々が十月に出雲大社に集合して会議だか、慰安だったかを催すという言い伝えによるものです。
大社門前の「えびすやユースホステル」で聞いた話ですが、宍道湖を中央に挟んだ島根半島のあたりは大好きな旅先でした。

県都・松江と出雲市を宍道湖南岸経由で結ぶ山陰本線に対し、北岸経由で結んでいるのが私鉄の一畑電鉄です。経営の苦しいローカル私鉄の常で運賃は東京感覚ではびっくりするほど高いのですが、その沿線のたたずまいが好きで、この区間の移動のさいにはワイド周遊券を持っていたにもかかわらず片道は乗っていました。

ひるさがりの松江ゆき電車からだろうと思われます。
こんな一瞬の光景だけで語っては、地元の方には申し訳ないのですが陰鬱な空から差し込む弱々しい冬の陽射しに「あー、『山陰』だなー」と感じました。

a0020932_21505244.jpg

[PR]
# by y-gotosan | 2006-01-25 21:51 | 汽笛の風景

春をめざす旅 Ⅱ

a0020932_23223184.jpg


a0020932_23225771.jpg


ついさっきまで今日から始まった新番組「神はサイコロを振らない」を見てました。
10年前に消息を絶った旅客機が「いま」に飛んできた・・・。「喜びの再会」ばかりではなさそうなこれからの展開に、欠かさず見てしまいそうです。

閑話休題。
21年前の餘部です。
JRになった時期と社会人になった時期とがほぼ重なる私にとって、JRになってからは遠出の機会が減り、餘部はこの時が最初で最後の訪問です。
あたりまえですが、国鉄の列車です。昭和60年の地方幹線を走っていた連中です。いまになれば垂涎モノですが、これが当時の山陰本線でした。

これだけイベントばやりでノスタルジックなものが受けるのであれば、JR各社でカネを出し合って共同で古い車両を保有していてはどうかとも思います。
保存車を動態復活ではありません。設計図は残っているでしょうからオハユニ61も、スハ43もキハ82系も全部新製するのです。いまの高速ダイヤにはついていけないから電車と気動車は足回りだけ今風の最新技術で、旧型客車の手動ドアはいまとなっては危なすぎるので時速×キロ以上になったら自動的に閉じるような装置を目立たせずにさりげなく組み込むことは現代の技術なら十分可能でしょう。

国鉄時代を知るスタッフがどんどん減ってゆけば昔のままの状態で動態保存しても維持が難しいし、地方幹線にも高速化が波及する中ではサファリパークの動物のようにきわめて限られた範囲でしか動けないわけで、ならばいっそのこと、と思う次第。
テレビや映画の需要もありましょう、いつまでも大井川鉄道に任せていないで日本を代表する鉄道企業グループのプライドでやってくれませんかねぇ。外観と車内さえ再現できれば、走行装置は681系のボンネット型特急電車が130キロ以上で疾走しても誰も文句は言いますまい。

a0020932_013818.jpg

餘部から確か、鳥取か倉吉で<だいせん1号>に乗り移り、出雲市から大社線で大社。旅日記はそうなっています。香住駅だったと思います、長距離鈍行にありがちだった長時間停車の折の一写もついでに。
ホームのない反対側のドアも開けっ放しになっているようです、そこだけ明るい雪で気付きました。イイ感じですね。
[PR]
# by y-gotosan | 2006-01-19 00:14 | 汽笛の風景

春をめざす旅 Ⅰ

a0020932_23134825.jpg


旅は山陰本線餘部、天空に架かるトレッスル橋から始まります。
前夜東京を<出雲3号>で出発。早暁の豊岡で鈍行列車に乗り換えて辿り着きました。雪晴れに恵まれた大鉄橋は雄大の一語に尽きました。

上から下から、好ましい小漁村をうろうろしたままのネガのどれをアップしようか、いまだに迷っていますが、まずは「いよッ!松風家~!」と声をかけたくなるような天井桟敷からのアングル。
鉄橋に降り積もった雪が振動でこぼれ落ちているのがおわかりですか?

千両役者<まつかぜ1号>、大阪から山陰を経て九州博多への長旅は、この橋を渡ることで第二幕の幕開けでしょうか。

<1985.1.10 山陰本線鎧-餘部>
[PR]
# by y-gotosan | 2006-01-14 23:26 | 汽笛の風景