まるで汽船の舷窓のような丸い窓。 実用とは無関係、造形美というべきか遊び心というべきか、田舎の古い電車が丸い窓ひとつで優雅にみえる、そして有名になった。 上田交通別所線。信越本線の上田を起点に塩田平と地元では呼ぶ盆地を南西に走り、山ふところに湧き出る温泉町、別所を終着とする11.6㌔の小さな鉄道だ。でもこの正式な呼び方はどうも好きではない。「ナントカ交通」ではバスだか何の乗り物だかわからない。以後は勝手に温泉ゆき電車と呼ぶことにする。 あのころ、とは1984年の4月26・27日。おそらくそのとき以来はじめて、そんな日付が書き込まれたネガ袋を開けてみた。 小淵沢の大カーブを甲斐駒バックによじ登る小海線キハ56がネガの冒頭に出てくる。てことは、そのあと茅野から白樺湖、和田峠を経て丸子町に出たのだろうか。この撮影行は当時のバイト先だった小田急新宿駅学生班の仲間と一緒だった。野郎3人で白樺湖だのビーナスラインだのなんとも場違いなことよ!とお互いを恨んでいたような。そんなドライブコースもあって温泉ゆき電車の撮影は上田からではなく、いきなり終点別所温泉近くの山から俯瞰で始まっている。 塩田平がいよいよ尽き、迫ってきた山の気配がゆるやかながらも田園を棚田にさせる。そのなかを懸命に登って行く。「頑張れ頑張れ」と声をかけていただろうか・・・・。 いまの折り返しの電車が別所温泉を発車、上田へと下り始めたところだ。湯けむりが望めないのが残念だが、温泉旅館らしき建物がちらほら。 さてさっきまで1両だけだったのに2両になっている種明かしはこう(山上から一部始終を見学させていただいた)。 朝ラッシュにカタをつけた2両編成の電車は上田からここまで回送同然で登ってくると、1両は置き去りにして、残った1両だけで日中の閑散時を過ごす。夕方のラッシュが近づくと再びもとの2両に戻って山を下り、上田からの帰宅のアシになるというわけ。 見るとおり、ようやく確保しました!という用地買収担当者の誇らしげな報告が聞こえてきそうな(?)狭い平地に駅はあるが、構内手前に急勾配の本線に対してこちらに画面左へ張り出したような平坦な引込み線が見えるのがわかるだろうか。スイッチバックの折り返し線のようだが、これが1両分の昼寝のスペース。まったくムダがない。 現在の温泉ゆき電車はこの当時の古い車両を一掃し、東急東横線おさがりのステンレスカーで運転されているようだ。しかし都会の通勤電車では1両単位のこまめなローテーションは不可能なはずで、2両のまま日がな一日行ったり来たりしているのだろう。それとも改造して1両単位で走れるようにしたかはわからないが、「古い電車じゃ保守にカネがかかる、さりとて新しくすると・・・」。いろいろあったんでしょうね。 ≪つづく≫
by y-gotosan
| 2005-06-14 22:14
| 汽笛の風景
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