ついさっきまで今日から始まった新番組「神はサイコロを振らない」を見てました。 10年前に消息を絶った旅客機が「いま」に飛んできた・・・。「喜びの再会」ばかりではなさそうなこれからの展開に、欠かさず見てしまいそうです。 閑話休題。 21年前の餘部です。 JRになった時期と社会人になった時期とがほぼ重なる私にとって、JRになってからは遠出の機会が減り、餘部はこの時が最初で最後の訪問です。 あたりまえですが、国鉄の列車です。昭和60年の地方幹線を走っていた連中です。いまになれば垂涎モノですが、これが当時の山陰本線でした。 これだけイベントばやりでノスタルジックなものが受けるのであれば、JR各社でカネを出し合って共同で古い車両を保有していてはどうかとも思います。 保存車を動態復活ではありません。設計図は残っているでしょうからオハユニ61も、スハ43もキハ82系も全部新製するのです。いまの高速ダイヤにはついていけないから電車と気動車は足回りだけ今風の最新技術で、旧型客車の手動ドアはいまとなっては危なすぎるので時速×キロ以上になったら自動的に閉じるような装置を目立たせずにさりげなく組み込むことは現代の技術なら十分可能でしょう。 国鉄時代を知るスタッフがどんどん減ってゆけば昔のままの状態で動態保存しても維持が難しいし、地方幹線にも高速化が波及する中ではサファリパークの動物のようにきわめて限られた範囲でしか動けないわけで、ならばいっそのこと、と思う次第。 テレビや映画の需要もありましょう、いつまでも大井川鉄道に任せていないで日本を代表する鉄道企業グループのプライドでやってくれませんかねぇ。外観と車内さえ再現できれば、走行装置は681系のボンネット型特急電車が130キロ以上で疾走しても誰も文句は言いますまい。 餘部から確か、鳥取か倉吉で<だいせん1号>に乗り移り、出雲市から大社線で大社。旅日記はそうなっています。香住駅だったと思います、長距離鈍行にありがちだった長時間停車の折の一写もついでに。 ホームのない反対側のドアも開けっ放しになっているようです、そこだけ明るい雪で気付きました。イイ感じですね。
by y-gotosan
| 2006-01-19 00:14
| 汽笛の風景
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